海岸線:張曉インタビュー

聞き手: 東方輝 (二手舎)

「張曉:海岸線」展
期間:2014年9月24日〜10月18日
場所:ZEN FOTO GALLERY

Courtesy of Zhang Xiao, Zen Foto Gallery

「子どもの頃私は、海に憧れ、海の神秘性に魅せられ、近寄りがたいものと感じていた。私は未だに同じように感じている。私はここに、強い葛藤と豊潤なイメージを探しにやってきた。そこには、深い哀しみや喪失感も含まれているだろう。海は生命と夢の始まりである。同時に、私は海に心の故郷を探している。」

Q. 中国の海岸線を撮影した「Coastline」のシリーズは2013年に完結しましたね。4年間にわたるプロジェクトでしたが今はどのような気分ですか。
 
Z. 満足です。実は4年を費やしてこのシリーズを撮り続けたのですが、正直言えば最初の3年間で私はすでに満足だったんですよ。展示をしたり本を出したりしましたから。だから3年経った時にこのシリーズはもうやめようと思ったんです。それでも最後の1年を足して撮り続けられたのは、まだ写真を撮っていない地域が沢山あったからです。でも最後の1年間で実際に行った場所は作品のために撮りに行ったのではなくて、自分がもともと行ってみたかった場所でした。
 
Q. 実際に海岸線を歩いていくわけですか。
 
Z. 鉄道やバスなどの交通網を使って現場に到着したら、あとはずーっとひたすら歩きました。基本的には海岸沿いの全ての都市に行きました。最初は南の方 から順番に都市をわたって北に向おうと思ったんですけど、結局そうしたルールは自分にとって特に必要のないことだと思ったので途中でやめにしました。例えば上海で展示があった時に、そのついでで一週間ぐらい上海の海岸線をぶらぶらするといった具合で。順番は関係ないです。北か南かもまちまちですし、季節も 特に決まっていないです。
 
Q. Jiazazhi Pressから出版されたあなたの写真集は北から南へという一貫した編集にはなっていないのですね。

Z. 特に順番に意味はないですけど、海岸沿いの地点と地点を繋いで線を引いたらこうなりますね(左写真参照:写真集の裏表紙)。
 
Q. あなたの写真を日本人的な感覚で見ると、どこか普通では有り得ないような光景に感じます。これらの写真は本当にあなたがその時実際に見たものなんですか。
 
Z. そうです。今日で3度目ですが(笑)、、、さっきも同じようなことを聞かれました。
 
Q. あなたが何か指示してこう、、、。
 
Z. 本当によく聞かれます(笑)。ヨーロッパで展示した時も皆信じてくれないんですよ。たまに聞かれるんですけど、「あなたは沢山お金を持っているんでしょ?それで誰かに演技してもらったりして撮ったんじゃないか」って(笑)。写真の人達はほんとうに全然知らない人達ですし、私は基本的にあまり地元の人と交流をしないのです。
 
Q. 本当に偶然ですか。
 
Z. 本当に毎日歩いたら出会うんですよ。私は出会うという言葉をよく使います。見るというより出会う。

Courtesy of Zhang Xiao, Zen Foto Gallery

Q. 待つことはないですか?

Z. 待つ時間がもったいないので待たないです。もし同じ場所で1ヶ月以上の滞在期間があれば、もちろんもっと作品が撮れるんですけど、いつも滞在は1日とか2日間で時間がないです。でも長期間かけて同じ場所を撮ったとしても、私にとっては特に意味はないですから。できれば私は広い範囲を転々と撮りたかっ たのです。
 
Q. あなたの写真は中国人から見るとそれほど珍しい光景ではないのですか?
 
Z. 中国人の友達は大体普通だと言いますが、私の妻なんかが見るとたまにおかしい写真があると言います。私の周りは美術関係の人が多いので案外ノーマルに見る人が多いかもしれませんが、一般のお客さんに見てもらったとしたら少し違和感があるかもしれないですね。日本人にとってはやはり不思議に感じますよ ね。
 
Q. あなたにとって写真展と写真集の違いとは?
 
Z. 写真集はその作品全てをシリーズとしてまとめたものであると思います。写真集はうまくいけば完成度が高く、全シリーズとして見る事ができる。写真展は場所、位置、照明など様々な要素が関わりあい、それぞれ違う角度から作品を見せます。だから写真展と写真集はお互いに不足するものを補い合うものだと思 います。

Courtesy of Zhang Xiao, Zen Foto Gallery

「路上で写真を撮る私に、人々はしばしば尋ねてくる。「何をしているんだ?写真を撮るに値するものなんてあるのか?」と。それは私が自分自身に問いかけている ことでもある。「何故私はここに来たのか?」と。私はいつもこう答える。「ただ見るために来たのだ。辺りを見渡して...。」私は今日の中国をそのまま記録したい——人々の現実とその風景をこのカメラで記録するために、そして、海に向かうために。」

Q. あなたは以前のインタビューで、「私は中国の変化をただ記録している。そしてその変化は中国にとって良い事なのか、悪い事なのか今はまだ分からない」とおっしゃっていましたね。あれからあなたの中で心境の変化はありましたか。
 
Z. 今考えてみると少し悪い部分が多いですね。
 
Q. あなたは写真家として社会を変えていこうという考えですか。
 
Z. 私はただ記録しただけです。具体的に私自身がなにかの力になれる部分は少ないでしょう。何かをやろうとしても大した力はそんなに無いと思っています。今出来る事は”今”を写真で残すこと。こちらから社会を変えていこうというのではなく、今を写真で記録することです。
 
Q. あなたの写真は実際に嘘か誠か分かりづらいという点で、”今”を撮っているように感じないのですが。
 
Z. この質問に関しては、多様性が必要ですね。例えばポートレイトを中心に写真を撮り続けている写真家がいる。そして自然破壊を記録している写真家もいます。様々な写真家が違う角度からそれぞれ違う立場で写真を撮っていると思いますが、私は自らの立場、自らの角度から見た今の中国、私が見た中国を記録しています。今中国の大陸の方は、経済的にすごい勢いで発展する一方、精神的な部分はまったく追いついていません。周りの環境と人の精神が乖離しているのです。現在の中国の環境はすごい変ですよ。そこにふさわしくない。
 
Q. その原因は何だと思いますか。
 
Z. お金ですね。本当に今の中国は変化が激しすぎて経済的な環境は発展しているんだけど、精神は進歩していない。精神は経済の発展よりも遅い。
 
Q. これからもしばらくは中国本土をテーマにした写真を撮っていく予定ですか。
 
Z. 今取り組んでいる新しいプロジェクトは、私の故郷(煙台市)がテーマになっています。とても小さい村です。今までの3つのシリーズ「THEY」 「Coastline」「SHANXI」は”私から見た外の世界”が中心でした。今進めているプロジェクトは自らの出身地に戻り、”私から見た私の内なるもの”が創作の中心ですので、さらに私的なものになるでしょう。おそらくこの作品を通じて今の中国がもっと分かってくるだろうと思っています。

Courtesy of Zhang Xiao, Zen Foto Gallery

 

 


 

張曉 1981年、中国山東・烟台生まれ。煙台大学でアート、デザイン、建築を学んだ後、重庆晨报(THE CHONGQING MORNING POST)の写真部に配属された。現在はフリーランスの写真家として四川省成都市を拠点に活動中。
 

東方輝(ヒガシカタ アキラ)
古書店「二手舎」店主、現代写真インターネットマガジン「写真の鉛筆」運営者。
 
 
Translators and Editors:
Amanda Lo, Lin Yichen, Federica Sala, and Ayako Koide.