1899年(明治32年)、鳥取県東伯郡赤崎村(現琴浦町)生まれ。芸術写真の分野で国内の草分け的存在として活躍、海外においても評価が高い。大正時代に一世を風靡した単玉レンズのカメラ「ヴェスト・ポケット・コダック」(通称ベス単)を愛用し、「ベス単のフードはずし」と称された軟調描写(ソフトフォーカス)が作品の特徴。生まれ育った故郷を愛し、生涯にわたって山陰地方の自然を撮り続けた。
回船問屋に生まれ、小学校5年生の時からカメラを手にする。倉吉農学校を卒業後、1919年(大正8年)、赤碕にて写真の愛好会「ベストクラブ」を創設。1926年(昭和元年)、写真雑誌「アサヒカメラ」創刊号第1回月例コンテストで作品《漁村》が1等に選ばれる。その後、国際写真サロン、日本写真大サロンなどの展覧会、コンテストで入選、受賞を重ね、1927年(昭和2年)芸術写真研究会会員、1928年(昭和3年)日本光画協会会員、1934年(昭和9年)国際写真サロン特待員会会員となり活躍する。1975年(昭和50年)に『塩谷定好名作集』が出版され、芸術写真見直しの気運を高めた。
1979年(昭和54年)欧州12か国を巡回した「今日の日本の写真とその起源」展、1982年(昭和57年)西ドイツ(当時)のケルン美術館の「フォトグラフィ 1922-1982」に出品、後者ではフォトキナ栄誉賞を受賞。1983年(昭和58年)日本写真協会功労賞を受賞。1988年(昭和63年)「ヒューストンフォトフェスト」(アメリカ)において「塩谷定好展」を開催。その後アメリカ国内7会場を巡回した。同年、89歳で死去。
作品はフランス国立図書館、ハンブルク工芸美術館、サンタフェ美術館、東京都写真美術館、横浜美術館、鳥取県立博物館、島根県立美術館、米子市美術館などに所蔵されている。

塩谷定好の書籍