Zen Foto Gallery Book Review

禅フォトギャラリーは、2009年9月にマーク・ピアソンによって設立された、アジア諸国の写真を専門的に紹介するギャラリーです。展覧会の開催のみならず、写真集の出版を活発に行っており、刺激的な写真作品を継続して提示しています。今年で記念すべき10周年を迎える禅フォトギャラリーがこれまでに刊行した出版物を再俯瞰する、ブックレヴューページを特設しました。(レヴューは随時更新され、掲載タイトルが増える予定です。)


』北井一夫

東日本大震災。
2011年3月11日。14時46分。

北井が二十代の頃から繰り返し旅行した、青森、岩手、宮城、福島は一瞬で姿を変えた。

北井はいたたまれず、自分の目で確かめるために被災地へ旅に出た。
度々訪れていた村は、どこへ行っても津波にさらわれ消えていた。

本書で北井は、何も無くなった被災地の地面から”道”の痕跡を辿り、北井が出生した中国鞍山からの、日本敗戦による引揚者としての、自身の家族の重い道のりを重ねあわせた。

編成された積石と街と海のカットに、自然と人との逃れられない無言のサクリファイスを見る。
地球という自然と共存することの定めと思うほか、心の落ちどころはない。
自然災害は、あまりにも悲しみを生むからだ。

災害は、一瞬で人々の日常を奪い去る。
私は15歳の時に被災した。

全ては丸焦げに焼け散り、昨日笑っていた人も目の前で丸焦げに焼けた。
体育館は死体の山で、人間の尊厳など、どこにもなかった。

しかし、今思えば”道”だけは、街と人が生きていた痕跡となり存在していた。

北井はその道に、ひたすらシャッターを切った。
道には命があるようだと。

親切だった人たちが歩いた道、全てを失った村の道、引揚者としての自身の道。
たくさんの道を撮り収めてきた北井が、被災地の道で示したものは、暗くのたうち回る苦難の中でも、それでも人は自身の道を歩むことの中にしか、新たな道はないということだったのではないだろうか。

― Jeong Imhyang


《復刻新装版》港町エレジー』石川真生

沖縄の港町。
男達の荒い皮膚、怒号、酒の咽ぶ匂い、畳の擦れる音、海風。

写場は、石川が居酒屋を経営していた、1983-86年の那覇市安謝新港。

石川は、1972年の沖縄日本復帰を経験し、これまで一貫として沖縄人と沖縄に関係することのみを、撮影し続けている。

本書は、1990年に私家版として出版されたものを、25年の時を経て装幀と編集を改め、復刻新装版として出版されたものである。

そこに写るは、港街の男達の刻まれた“生い立ち”
石川の眼は、瞬時に生い立ちを背負った、男達の顔を撮らえる。
男達の匂い、音、感触が生々しく視覚を越えて、身体に纏わりつき、男達のエレジーが心臓に鳴る。

日本には全ての物に、命が宿るという考えが強く存在する。
石川の写真を見ていると、その汎心論を直視させられるように思う。

写真という物を通して、男達の当時の命が宿っているのだ。

本書を出版するにあたり、25年ぶりに石川自身により、初版に収録されていたネガとプリントは見直されたが、一部消失されており、当時未収録だったカットが、新たに収録されている。

石川のネガやプリントは、それぞれの命による天命に沿い”定められたこと”として消失され、また、残されたように思う。

男の命も写真の命も宿し、受動する圧倒的な石川の力は、生きていくということの中にだけある、命の芯みたいなものなのではないだろうか。

― Jeong Imhyang


American Monuments』楠哲也

過去と記憶。

過去は戻って来ない。
記憶だけが戻ってくる。

本書は楠が、精神的な病を抱えた元妻と、アメリカを放浪した日々が動機となり、独り身となった2014年の暮れに、再びアメリカに赴き撮影された写真群である。

冒頭の1カット目が、元妻と放浪した三年半もの過酷な月日を物語る。
まるで過去への手向けの花のようである。

撮る愛もあるが、撮らない愛もある。
残酷だが、共に放浪した元妻との日々を撮り収めたか、聞いてみたい衝動にかられる。

本書に写る、楠の最も辛かった過去への旅は、その記憶を出た時に、新しく人生を始めることへの赦しを乞う旅のようにも感じる。

なぜなら、カラー写真でまとめられた、楠の“AMERICAN MONUMENTS”は、アメリカという土地とカラー写真が放つポップさとはうらはらに、人々の表情や街がどこか憂鬱なモノクロームを、纏っているかのように見えるからだ。

その憂鬱さが、楠の過去と記憶が蘇生し写しだした、AMERICAN MONUMENTSそのものであり、再びアメリカに向かわざるをえなかった、動機の一端だったのではないだろうか。

生きていくことは、ほとんどが憂鬱な旅であると私は思う。
撮らなければ進めない時もある。

楠のAMERICAN MONUMENTSは、過去と記憶は写真の中で完成されること、憂鬱を背負い日々を旅することが、自己を再生することだと改めて見せてくれたように思う。

― Jeong Imhyang


鎮魂景』にのみや さをり

内包する赤。
焼き写るモノクローム。
まるで子宮のX線のようだ。

にのみやの詩と、X線のようなモノクロームが、彼女の道のりを想察させる。
暴力は魂を殺す。
“女”とは?

自身の過去と向き合う“写真を手段と捉えた写真”にすぎないと、言ってしまえば、にのみやの写真は、モノクロームという色ですら消え失せるだろう。
確かに、写真芸術としての、発信とまでは至っていないかもしれない。
しかし、そこに留まる写真があってもいいのではないだろうか。

暴力と対峙し、他人の無神経な言葉によって、二度殺された女性達。
安い励ましでも、背中を押す訳でもなく、“鎮魂”された、にのみやのイメージは、どんな言葉よりも強く、ただ女性性に添う。

世界は、不条理と理不尽で成り立っている。

全ての生に意味があると言うならば、何故これ程までに、悲惨で無惨な生があるのだろうか。
人の意味付けに、何の意味があるのか。

ただ、事象が起きてしまったのだ。
起きてしまった以上、逃れられない。

事象を受け入れ、順応することが、悲しみに抗うことであり、唯一の復讐なのではないだろうか。
にのみやのX線は静かに云う。

“わたしはそれをわすれない”

― Jeong Imhyang


反体制派』浜口タカシ

衝動と記録。

浜口が撮らえた闘争。
そこに写るは、歴史の事実であり、人々の異議申し立てを消えぬ記録とした、浜口の証人としての眼である。

1960年代半ばから1970年、世界は政治的、経済的そしてあらゆる文化的な領域で、根源的な反体制運動が行われた。

浜口が撮らえた、全共闘運動、成田空港建設反対運動は日本の重要な闘争の局面であり、市民が国家に、世界に抗議した歴史一端である。

2015年、安保法制案反対を唱える学生達が、国会前でシュプレヒコールを挙げた。
浜口は、その学生達のデモを前にし、およそ50年ぶりにシャッターを切った。

学生達の不純なき怒り、曇りなき異議申し立て、衝動が浜口の血を駆ける。

1959年4月10日、皇太子(現在の上皇)成婚パレードでの、投石事件の記録的瞬間を捉えた写真が、浜口のデビューである。

浜口は人の偽りなき”怒り”の美しさに、衝動を高ぶらせる。
それは、浜口自身さえ気づかない程の根底に、同じく純潔なる怒りを持っていたからではないだろうか。

あるデザイナーはこう発言していた。
“抗議する市民が書いた『怒』には、どんなデザイナーもかなわない”

浜口は静かなる怒りを携えて、衝動に従い人々の怒りを、歴史の記録として、今世に焼き付けた唯一無二の市民カメラマンなのではないだろうか。

本書の最後の白紙が、浜口と日本の50年を、そして声にならない浜口の“否”のシュプレヒコールを思わせる。

“問いかけよ”

浜口の記録は現代の問いと共に抗議し続ける。

― Jeong Imhyang


寺山修司、街に戦場あり』寺山修司

昭和を疾走した、職業・寺山修司により1966年に、アサヒグラフで連載された連作小説。
写真は、森山大道・中平卓馬。
今となっては、身震いするほどの希少本である。

その希少本が、ピーター・タスカ、マーク・ピアソンによりプロデュースされ、現代に蘇った。
本書には、天声出版から刊行された復刻版に加え、英訳された別刷りが収録されている。

本書は2013年に、寺山の死後30年にあたって、禅フォトギャラリーから出版されたわけだが、Japanese Photographyの先駆者である森山大道・中平卓馬の16点の収録された写真を、図版にしたことは、禅フォトギャラリーならではの心憎い演出である。

過去と現代が融合した本書は、寺山フリークにとっては贈本のような一冊であり、森山・中平フリークにとっても、当時の両者の濃密な写真に触れることが出来る一冊となっている。

出会うものには出会い、出会わないものには出会わない。
少年少女の時代に出会うものには、必然性があり、無意識に“知”の血肉となっているものである。

短歌、俳句、詩、演劇、映像にコラージュ、モンタージュを駆使した、虚構と現実の境目なき寺山ワールドは、色褪せることなく、未だ国内外の少年少女を魅了し続ける。

その少年少女は、現代の寺山自身のポートレートであり、永遠に現象として存在していくことを物語る。

寺山は百年先で立っている。

“百年たったら帰っておいで、
百年たてばその意味わかる”

― Jeong Imhyang


欲視録』広瀬耕平

己を知ることは
他を視ることである。

断続して写し撮られたモノクロームの写真群。

焼きつけられるは、広瀬の問いの波濤。
波濤が視覚に焦げつき、因果の道理を思う。

広瀬のフォーカスは己と他を一元し、都市を巡礼の地へと姿を化す。
沈思黙考する音なき足音が、その巡礼の遠路を思わせる。

問いと共に重い足を引きずり、都市を這い、シャッターを切る。
時には天に唾を吐いたことだろう。

その遠路で広瀬が視たものは、一切皆空の世である。

一切皆空の世を受け入れ、モノクロームに定着させた“色”と“空”が日常の潜在的無意識に轟き、実体なき実体は写真という具現となり視録されている。

人がたどり着く極地は“無”である。
しかし“無”もまた、“在る”のである。

“ひとならば いんがのどうり わきまへよ
さらばみのりに うたがひもなし”

― Jeong Imhyang


自閉空間』土田ヒロミ

写真の永遠性とは何なのであろうか。

土田が1971年、第8回太陽賞を受賞した際に発表された処女作。
そこに写るは、江戸文化が色濃く残る、昭和の東京・淺草である。
芸者、剣戟役者、祭り、行き交う群衆、スローハット。

本書はその作品群と、発表されることなく、省かれた当時のカットと共に、2018年の土田自らが選び直し、再構築したものである。
区分された写真を、記述と照らし合わせて見てみると、何故に土田が再構築を試みたのか、隠れたロジックが見えてくるようだ。
ソーシャルメディアが氾濫する昨今では、私たちは簡単に過去の自己と対話し、現在の自己を、未来とまで対話させられる。
その中で、メディアとしての写真は、時代と共に多様化され、人々の日常の中で、無意識に見られ選択されている。

土田の作品に、ほぼ毎日撮られているセルフポートレート“aging”シリーズがある。
このシリーズは、現代がソーシャルメディアにより、自己時間が混合し錯綜することを、予見していたかのようなシリーズとなっている。

時を経て、出版に至った処女作を、再構築し現代に隠した、土田のロジックは、メディアとしての写真を予見し、真摯に自己としての写真を、探求してきたからこそ提示した、写真における自己の永遠性とのーfusionーだったのではないだろうか。

― Jeong Imhyang


FLASH UP』倉田精二

The Ramones Blitzkrieg Bop

Sigmund Freud

五感に音と思想が鳴り響く。
人間の行動の原理はリビドーなのだと、圧倒的な破壊力を持って、視覚から脳天を倉田の斬り撮る街のパンクスに撃ち抜かれる。

街が街の思想を持っていた1970年代、東京。
世間の道理など無視して人々の欲望が自由に生きていた。

人は生まれる時代を選べない。
写真家であればこれ程に、写欲を掻き立てられる時代はないのではないだろうか。
文化が街、人、生活に密接し、日本独自のカルチャーが煌めく。
それは、倉田の視線のマジックにより、2000年世代に生きる私たちにかけられたアトラクティブなフィルターによる仕業なのかもしれない。
倉田写真が視覚に定着させる、写真軸の超加速と時間停止のタイムトリップが、より一層高揚させるように思う。

そして、不条理など蹴散らして、自由に、欲望に従って生を鳴らせと、覚醒しろとひと蹴りされる。
覚醒した先はきっと、時代など関係なくどんな時代でも撮れるものがあると、自分自身の目の感度なのだと、カメラを手に街へ飛び出すことになるだろう。

“鈍るな”

倉田のビートは警鐘を鳴らす。

“Are you ready?
Yes,OK. Let’s go.”

― Jeong Imhyang


猫が…』西村多美子

男と女の間には深い深い川が流れているというが、女と女の間には何が流れているのだろうか。
西村をふと友達がたずねて来たひと夜に、撮られた一連の写真に写るは、女と女の茹だるような湿度である。
その湿度が鬱々たる夜を支配し、モノクロームの粒子を色添う。
物質的“女”から外された西村の視線は、女を撮る行為とは、女だけが持つ不可解な謎を解く行為でもあることを射影するかのようだ。
外された視線は、“女”をなじりながら、虚々実々にピントを這わせる。
論なく、写真の上では男女の違いはない。
個々の違いである。
しかし、西村の視線からは女と女の間に写るは、男と女では写しえない無軌道な何かが存在しているように思う。
“見られているな”と感じるまとわりつく視線の湿度は、その何かの実体であり、女が女を見ることのアンビバレンスではないだろうか。

― Jeong Imhyang


網膜直結指先目カメラ』須田一政

“今”を乞うことは、渇きにも似ている。
時間は不確かで、現実の尾っぽを掴みかけた途端、過去へと姿を隠す。
本書は須田が「未練の箱」に収めていた、ミノックスカメラによって撮られた膨大な写真の一群である。
須田はミノックスカメラを“網膜直結指先目カメラ”と名付け、1991~1992年の間そのカメラのとりことなった。
網膜直結指先目カメラは名付けた通り、須田の時間軸に添い、日常を包括した。
その日常の時間軸は、真も偽もなくただ真摯に“そこにあるもの”として存在している。
須田の視線は日常の中、経過していく“そこにあるもの”をとどめ記憶の具現と化す。
時間とは人が作り出した現象に過ぎないと辛辣に説くように。
その完成された記憶は、ようやく手中にした“今”への未練としていつか⋯⋯、を待っていたのではないだろうか。
写真憑きたるものがあるならば、須田写真にそれを見たように思う。
網膜直結指先目カメラを呼び寄せたのは、その写真憑きたる須田の見ることへの執着だったのかもしれない。
須田の網膜の記憶は、時間経過と共に変化する、日常の真理値へ抗うことへの刻印だったのではないだろうか。

― Jeong Imhyang


恐山へ』須田一政

旅の終点はどこにあるのだろうか。
輪廻をふと思う。
幾度となく須田が訪れた恐山。
宇宙の微粒子ほどの、人としての時間は、肉体を借りた旅であり、魂は永遠に続く終点なき旅であることを蒙る。
恐山は死後の世界と、死者に寄り添う霊場である。
卒塔婆、風車、河原に積まれた石の数々、口寄せをするイタコは、この世に残された者からの死者への思慕。
須田の恐山からは、恐山自体ががシャーマニズムそのものであり、また、写真行為は口寄せなる行為でもあることを黙考させられる。
今作では、東北各地で写しえた写真も収められているが、個々の独立した旅だったのにも関わらず“恐山への道すがらの風景”となりえたのも、写真行為の誘因だったのではないだろうか。
旅の寝坊で、ふいに須田の口からこぼれた言葉は亡き母への「お母さん」。
死者を思えばどこでも霊場となるが、その言葉は繰り返し訪れた恐山での真実の瞬間であり、写真行為もまた、輪廻のごとく終わりなき旅であることを、その行為の凄烈さが、深深と視覚に残像する。
須田の“恐山へ”は、人として今世を生きる真理の旅への論究なのではないだろうか。

― Jeong Imhyang


走馬灯のようにー釜ヶ崎2000・2014』須田一政

真夏の昼下がりの幼き日、父に手を引かれ訪れた釜ヶ崎は、朧げに今でも記憶に残っている。
木造の長屋と寺がひしめき合い混在し、整備されていない歩道には犬の糞が夥しく点在していた。
今作は須田が2000年・2014年に釜ヶ崎を撮り収めた二部作となっている。
ハーフサイズカメラで撮られた2000年釜ヶ崎。
釜ヶ崎の咽せる匂いと行き交う人々の息の緒の中に向けられるのは、まるでドアをノックしてお邪魔しますと言わんばかりの紳士的な須田の視線。
その視線に渋るは、街からの“よそ者”への訓戒。
しかし、須田の写真に写るはその訓戒ではなく、街の淡々刻々と流れる已今当である。
そこに行き尽きた人々だけが見る求不得苦、ある種の桃源郷を須田の撮り感で察し、自身を無の存在化とし、通りすがりの“誰か”の現し身となることで写しえた、須田の目視的行為の骨頂なのではないだろうか。
また、2014年に中判カメラで撮られた釜ヶ崎は2000年の釜ヶ崎とは対照に遠隔地に存在しているかのようだ。
転校生が夏休みに生まれた街に戻り懐かしみ、興がるような街の童心が写る。
須田自身も本書で綴っているように、街が変化したのではなく須田の視線の行先で街は姿を変えたのだ。
それは街を撮った者と、存在し続ける街だけとしか体現出来ない濃密な不可思議さであり、須田の釜ヶ崎二部作はその不可思議さが“走馬灯のように”時空を漂っている。

― Jeong Imhyang


oh my little girl』陳偉江

受け入れること。受け入れられること。
写真の中だけで成り立つマジカルなロマンが詰まった陳偉江の“oh my little girl”
これまでに陳偉江は極私的に彼が対する人物との関係を発表してきたが今作ではある一定のポップな距離を持って制作されている。
彼と彼女との関係にしか写りえない軽妙さとひとさじの反逆。
自己受容を一点の矛盾もなく黙諾される幸福。
それは男のそれ、すなわちロマンなのではないだろうか。
ロマンの前で女神に黙諾される
溢れる言葉は
oh my little girl…….

― Jeong Imhyang


新宿迷子』梁丞佑

新宿歌舞伎町。
その街は欲望という結界を纏っているかのような街である。
足を踏み入れた途端どこからか聞こえてくる御霊の呻く声。
”なしえなかった”人々の浄化されぬ魂が未だその街をさまよっている。
その街は欲する者には赤子に添い寝する母のごとく擁する。
欲になしえなかった者達には厳格なる父のごとく背を向ける。
梁はその街に1998年から2006年の間余すことなく目と目を合わせている。
今作の中に出てくる”若者心得”のごとく。
彼の目は今は亡き御霊ではなく今ある生に獰猛に執拗にそして慈悲を持って向かっている。
彼は人間の欲する先をその街に見てしまったのだろう。
見てしまった以上街が変貌しようとも後戻りは出来ない。
彼の写真を見た者は彼のその街を見続ける尋常ではない覚悟と尊さを目撃する。

― Jeong Imhyang

禅フォトギャラリーは、2009年9月にマーク・ピアソンによって設立された、アジア諸国の写真を専門的に紹介するギャラリーです。展覧会の開催のみならず、写真集の出版を活発に行っており、刺激的な写真作品を継続して提示しています。今年で記念すべき10周年を迎える禅フォトギャラリーがこれまでに刊行した出版物を再俯瞰する、ブックレヴューページを特設しました。(レヴューは随時更新され、掲載タイトルが増える予定です。)


oh my little girl』陳偉江

受け入れること。受け入れられること。
写真の中だけで成り立つマジカルなロマンが詰まった陳偉江の“oh my little girl”
これまでに陳偉江は極私的に彼が対する人物との関係を発表してきたが今作ではある一定のポップな距離を持って制作されている。
彼と彼女との関係にしか写りえない軽妙さとひとさじの反逆。
自己受容を一点の矛盾もなく黙諾される幸福。
それは男のそれ、すなわちロマンなのではないだろうか。
ロマンの前で女神に黙諾される
溢れる言葉は
oh my little girl…….

― Jeong Imhyang


新宿迷子』梁丞佑

新宿歌舞伎町。
その街は欲望という結界を纏っているかのような街である。
足を踏み入れた途端どこからか聞こえてくる御霊の呻く声。
”なしえなかった”人々の浄化されぬ魂が未だその街をさまよっている。
その街は欲する者には赤子に添い寝する母のごとく擁する。
欲になしえなかった者達には厳格なる父のごとく背を向ける。
梁はその街に1998年から2006年の間余すことなく目と目を合わせている。
今作の中に出てくる”若者心得”のごとく。
彼の目は今は亡き御霊ではなく今ある生に獰猛に執拗にそして慈悲を持って向かっている。
彼は人間の欲する先をその街に見てしまったのだろう。
見てしまった以上街が変貌しようとも後戻りは出来ない。
彼の写真を見た者は彼のその街を見続ける尋常ではない覚悟と尊さを目撃する。

― Jeong Imhyang