撒馬拉達

撒馬拉達

阿斗

出版社:禅フォトギャラリー

“写真において、自身を撮る時と他人を撮る時には違いがない。カメラがどっちを向いていようと、自分の意見など関係なくそこには自分が写されるからだ” –阿斗

なぜ写真を撮るのか、私には分からない。もし分かってしまったら、撮らなくなるに違いない。生命の意味とは何なのか、私には分からない。もし分かってしまったら、探求しなくなるに違いない。

私にとって写真とは信仰だ。自分よりも写真のほうが信じられる。私がなぜ教会を捨て、写真以外の一切の余分な形式を捨てたのか、その理由はここにある。あなたが写真(彼)の一部になるとき、私たちの浅薄な感覚を用いてこのイメージの偉大さを誇張する必要はなくなる。自分でさえ写真の付属品、光の中のちっぽけな塵にすぎないのだから。

我々は常に傲慢で、妄想をしては神になる。神は決して自分に属するものではないが、その妄想の間に我々は光を見いだすものだ。ひどく矛盾していることに違いないが。

もしこの答えに意味がないのならば、我々にとって重要なのはその過程だけだ。しかし誰がそれを教えてくれるのだろうか。これがその過程だということを。

「振り返るな、石になれ」

ー阿斗

阿斗による出版物

関連書籍

Signed Fuzhou

井津建郎

$80.21